【フランス観光】「6人の女の城」シュノンソー城

      2017/09/22 フランス観光

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ロワール渓谷で古城めぐりをしてきました。今回の紹介は歴代城主が全員女性だった「シュノンソー城」です。
こんな写真が撮りたいですね!

出典: Chateau de Chenonceau – Indre-et-Loire, France / Trodel

フランス中部、ロワール地方の都市トゥール(Tours)の東約26kmのシュノンソー(Chenonceaux)にある古城。ロワール川の支流、シェール川をまたぐように建っている優美な城である。11世紀に製粉所跡に建てられた城がその起源といわれる。この城はさまざまな変遷をたどりながらフランソワ1世(1494~1547年)に献上され、その次男で次のフランス王となったアンリ2世が寵妾のディアーヌ・ド・ポワチエにこの城を贈った。その後、正妃カトリーヌ・ド・メディシスの城となり、代々6人の女性の城主が続いた。このため「6人の女の城」と呼ばれる。城は15世紀の城塞の名残のマルクの塔、16世紀の初期ルネサンス様式の棟、シェール川に架かる橋に建てられた3層の回廊を持つギャラリー(回廊)で構成されている。また、マルクの塔の側にカトリーヌ・ド・メディシス庭園、その反対側にディアーヌ・ド・ポワチエ庭園の2つのフランス式庭園がある。城内には、ディアーヌ・ド・ポワチエやカトリーヌ・ド・メディシスの居室のほか、カトリーヌの娘たちの部屋、アンリ4世の寵妃のガブリエル・デストレの居室などがある。

引用:コトバンク


駐車場に車を止め、綺麗な並木道をまっすぐ歩いていると城が見えてきます。

細長い城で、正面から見るとかわいらしい感じがします。

「ギャラリー」
昔は舞踏会場だったそうです。
第二次世界大戦中時、ギャラリーの南側の扉は左岸の非占領地区に通じていて、レジスタンスは大勢の人々をここから逃がすことができたのだそう。

「5人の王妃の居室」
アンリ二世の未亡人のカトリーヌ・ド・メディシスの二人の娘と、三人の義理の娘を記念してこのような名前が付けられたそうです。

第一次世界大戦中は城の所有者が自費で病院に改装し、部屋も病院の各業務へ割り当てられていたそうです。

本当は対岸から写真を撮りたかったんだけど行き方が分かりませんでした・・・。

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ショノンソー城・6人の女たち

この城に幾多の愛憎劇があったのでしょうか・・・。
気になる6人の女性城主を調べてみました。

ディアーヌ・ド・ポワチエ(1499~1566年)

国王アンリ2世の愛妾で1547年にシュノンソー城を譲り受けました。
城の造園工事を実現させ、シェール川に橋を作り、シュノンソー城は世界に類を見ない建築物となりました。

カトリーヌ・ド・メディシス(1519~1589年)


フランス王アンリ2世の王妃・カトリーヌ・ド・メディシスはアンリ2世が1559年に死ぬと、シュノンソー城からディアーヌ・ド・ポワチエを追い出しました。
彼女は庭園をさらに美しく整え、城の建設工事を進めました。

ルイーズ・ド・ロレーヌ(1553~1601年)

カトリーヌが1589年に死ぬと、アンリ3世の妻でカトリーヌの義理の娘になるルイーズ・ド・ロレーヌが相続しました。
1589年に夫のアンリ三世を亡くした彼女は日々喪服を着用し、シュノンソー城に引きこもりました。
彼女の逝去以降、城は王族の居城として役割を果たすことはありませんでした。

ルイーズ・デュパン(1706~1799年)


1720年クロード・デュパンという大地主が買い取り、彼女は城でサロンを催し、作家・詩人・科学者・哲学者を招きました。
フランス革命時には破壊行動から城を守りました。

マルグリット・ペルーズ(1836~逝去年不明)

19世紀の産業資産家出身であった彼女は、城と庭園を装飾で満たす計画を立てました。城をディアーヌ・ド・ポワチエ時代の姿に復元させるため多大な費用を投じましたが政治的陰謀に巻き込まれ、破産してしまいます。

シモーヌ・ムニエ(1881年~1972年)

ムニエ・チョコレート工場の出資で城のギャラリー部は病院に改装され、彼女は看護長を担当し病院を運営しました。
現在もムニエ一族が所有しているそうです。


公式サイト:CHENONCEAU (English)

 

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